#同情するなら金を積め
さて、29日に舞台のバラシを終え、打ち上げをして、帰路でこのブログを書き始めたのだけれど、書き終わって公開するのはいつになるのでしょうか。
265名の方にご来場頂き、初日も千穐楽も満席という素晴らしい公演を、無事終えることができました。
先ず、この場をお借りして、関係者の方々に御礼させてください。
素敵なご縁を繋いでくださった主宰さん、この公演のためにクラウドファンディングからご支援くださった方々、同じ舞台に立ってくださった役者の皆様、舞台を上演する上での運営、テクニカルで助けてくださったスタッフさん、そして、観に来てくださったお客様。
ありがとうございました。
この座組のみんなはね、本当に、優しくて素直で、かっこよくて、真面目で感覚が鋭くて、才能と希望に溢れた、眩しいくらいに美しい人たちの集まりでした。
【追記程度に、私の話】
ちょっと、語ってみたくなったので、色々と感じたこと、抱えていたものについて綴っておこうと思います
きっと長くなるので、忙しい方は途中を飛ばして読んでくださいね。
【感情に対するコンプレックス】
わたし、4歳の頃からずっと「女優」になることが夢でした。
親も、時折就職の話をすることもありますけれど、それでもずっと応援してくれていて。
高校の頃から演劇の専修学校に通い始めて、高校卒業後は附属の専門学校に進んで、専門卒業後もずっと、演劇がしたいって思い続けているのですけれど、ひとつだけずっと拭えないコンプレックスがありました。
舞台上で、対人的な感情が動かない、というコンプレックス。
去年かな。友人が「テクニックでいくらでも役の感情はお客さんに共有することはできるけれど、実際に自分が何かを感じている実感は無いんだ。」と言っていたのを聞いて、あぁ、わたしもそうだよ、ずっと。って、思ったのを覚えています。
なにも感じない、というか、ええと、役の気持ちがわからないわけでもなくて、ただそれが「理解」で終わってしまう感じ。
出会ってきた人すべてを分析して記憶して、その中から当てはまるものをパズルのように組み立てていく作業を繰り返して、シーンを作るためには自分に、相手に、どんな技術的な負荷をかけたらいいのかな、ということばかり考えるの、上手くはできないのだけれど。
例えば、声量とか、目線とか、そういう。
役を自分の中で精一杯愛することはできても、その人として本当に生きることはできていなかったのだと思います。
これが、ね、私の中で、ずっと、ずっと苦しかったことで。
私は冷たい人間なのかな、おかしいのかな、なにがいけないのかな、って、演技が上手な同輩、先輩、後輩、恩師、出会った役者の方々を観ていつも思っていました。
ずっとあるのは劣等感と、向いてないのに、演じることをやめなければいけないのに、やめられない苦しさが募る日々でした。
【台詞が言葉になった時のこと】
ならかね(同情するなら金を積め、の公式略称)のね、初稿台本を読んだ時、なんて素晴らしいんだろうって思ったんです、今まで出会った中で一番、綺麗で苦しい台本。
そして、一番演じたかった役にキャスティングされた時、怖いくらいのプレッシャーも感じて。
本番の直前までずっと、ずっと悩み続けていました、このコンプレックスと、
でも、ね、ある日突然スッて言葉が自分の中に落ちていくような感覚になって、考えなくても銭子のことが羨ましくて、財部のことを心から信じることができて、鳥羽と語る未来が楽しくて、まどかのことが、ちゃんと、大好きで。
あぁ、これが演じることの気持ち良さなのね、って。
劣等感なんて少しも感じる暇が無かったです、外を見るより中を見ろってことなのかしら…
【認められて確かになるもの】
いくら自分が座組のことを好きと思っても、素晴らしい台本だと思っても、充実感があっても、それってお客様に感じていただかない限りは自己満足に成り下がってしまうじゃないですか。
それが悔しくて絶対に嫌で、毎回の稽古でなるべく早く、正解を見つけるのに必死になっていました。
そうして迎えた本番。
ほとんど全ての方が「この物語、すごく面白いね」と言ってくださって、「個性的な役者さんばかりだね」と言ってくださって。
それと、高校の頃から自分の演技を見ていてくれた友人が「演技、上手くなったね。」って言ってくださって。
やっと実感を得ることができたんです、素晴らしい作品、空間、時間だったなぁって
本当に、すべてが夢のような時間だったの。
役者としては遅すぎる自覚と再スタートですけれど、これからはもっともっと上に行きます。
応援していてください、見ていてください。
長々とすみません、改めまして「同情するなら金を積め」関係者、観劇者各位、ありがとうございました。
近頃の愛についての考察
巫侑季としての初舞台公演も折り返し地点に差し掛かかりました。
マチネとソワレの間の、休憩の間に思ったことを書き綴っておこうと思います。
学生時代に、この記事のタイトルと同じ題で創作演劇をしたことがあります。
端末上で簡単に縛り左右されてしまう恋愛って本当に恋愛ですか、みたいなね。
今思えば、愛についての考察であって、恋愛についての考察ではないのだと、あの頃は気づきませんでした、軽々しい解釈、申し訳ないです。
愛情なんてね、人にもモノにもお金にも、過去の出来事にだって向けられるのにね。
現在上演中の舞台の内容にも、若干愛について思うことがあり、本番が始まる前の客入れ中に毎回考えるのです
「荒金枷戯」としての、愛についての考察。
あまり話しすぎるとネタバレになってしまいそう、いけないね。
そういえば、いつか誰かが「人並み以上に誰かを愛せないと、役者なんて名乗るなよ」と言っていたのを思い出しました、刺さる。
ドトールのグリーンレモティーハニーが美味しい、わたしが飲んだら完売になってしまいました、運が良いのかな…
巫と新屋がゆく、長崎の旅。
見てお気付きの通り、前回は夜行バスでしたので、今回は飛行機に乗ることにしまして。
1泊2日、往復飛行機で長崎へ行ってきました。
今回は、どんなところへ行ったか、を記録する旅日記でございます。
【飛行機の時間が早すぎる】
えー、わたしとななみさんの「交互に遅刻をする病気」は健在でして。
でもね、飛行機の時間、6時55分、羽田初なんだ。
…………これはまずい。
夜行バスなら頑張ればなんとかできるかもしれないけれど、飛行機の遅刻はまずい。
ということで、出発前日は羽田の近くのアパホテルにて前泊(仕事かよ、って。)
そして7月某日、時間は起こる。
【人の失敗を全力で演出する巫】
いやぁ、うちのね、かわいいかわいいななみさんが、わたしのワンピースに珈琲をこぼしてしまったのです。
あまりに酷く動揺しているななみさんを見て、わたしは思ったんです
「あぁ、これを作品にできたら」って。
https://twitter.com/_spirited__away/status/1030830331576778752?s=21
是非観てくださいね、割と傑作だと思っています。笑
【寝坊せずに飛行機に乗れた話】
すごいよ。時間通りに、ね、飛行機に乗ることができました。
空の旅を続けること約2時間、長崎へ到着!
まずはホテルへチェックインしに行ったのですが……
いや、あの、
本当にここに泊まれるの?ってくらい、あまりに豪華すぎるホテルだったのです。
内装は大きなシャンデリアを中心とした広くて階段、身嗜み満点のホテルマン、眺めの良いカフェ…。
部屋もグレードアップされていて、なんだかお嬢様になった気分でした。
荷物を置いたらもちろん行く先は…
【大本命、ハウステンボス】
お出迎えありがとうハウステンボス。
お出迎えありがとう、ハウ………ものすごくななみさんに似た熊がいました。
ずっと気になっていたアンブレラロード
夢が詰まりすぎているチョコレートの館。
夏の初めの涼しい風の中、きらきら輝くイルミネーションも素敵でした。
アトラクションが少ない分、本当に絵になる場所が多くて綺麗でした、夢のようとは言えないけれど、現実だってこんなに美しいじゃないの、捨てたもんじゃあないのね。なんて思ったり。
その夜はハウステンボスのホテルでたくさん寝て、翌日はチェックアウトギリギリまで寝てました。笑
【海沿いだけを走る電車】
長崎にはね、始発駅から終点まで、海沿いだけを走る電車があるのです。
シーサイドライナーっていうの。素敵でした。
海沿いを走る電車に揺られること数時間(この中の殆どの時間。わたしは爆睡している)
長崎市内到着!路面電車を乗り継いで、観光名所巡りをしました。
坂道で巡り合った猫と話している(?)ななみさん。
グラバー園というところに行きました、開国があった場所が長崎だから、異国と少しの和文化が織り混ざった建物や食べ物がありました。
素敵な珈琲点と、数量限定の珈琲ゼリー(2人とも食べられました)
そのあとは長崎の中華街をふらっと巡って、一番遅い飛行機で東京へ。
東京は装飾電気が多すぎて星は見えないけれど、上から見たらこんなに綺麗。
宝石箱を開けたみたいな気分になって帰京しました。
そしてしばらく、2人の旅はお休みになります。
わたしもななみさんも、有り難いことに本業が忙しくなるのです。
詳細はTwitterの方を見て頂けると嬉しいです。
巫 侑季【@_Spirited__Away】
新屋 七海 【@sevensea_1202】
素敵な旅日記、今日はここまで。
巫と新屋がゆく、素敵な再会の旅の話。
さて、ありがたく忙しない7月がもう終わりにさしかかりました。
お待たせしました、ななみさんと旅した日記、第2弾でございます。
【友人の晴れ舞台を観に】
そもそも何故、行き先を長崎にしたかといいますと。
話は少し巻き戻って2月の頭。
わたしとななみさんの高校からの大切な友人の一人、橋本怜和(以下、りょーな)くんという方がいるのですけれど、その子が突然
「ね、ね、もしかしたら長崎に行くかもしれない」
なんて言ってきたんです、前触れもなく突然に。旅行かと思ったら、お仕事で。
ミュージカルの王子様やるかもしれない!って言うから、もし受かったら、絶対観に行くね。って言ってたの。
【巫、新屋、一旦の旅納め】
2回目で「旅納め」ってなんだよ、って、思いますよね。笑
わたしとななみさん、表現者として嬉しいことに、舞台や映像のお仕事で、10月頃まで忙しくなることが決定いたしまして。
しばらく旅できなくなっちゃうね、それなら一旦の旅納め、贅沢しちゃおうか!って。
そんな話をしていた時、偶然りょーなから、彼が王子様を演じている作品が、7月末で一旦終わってしまうという知らせを聞いて。
タイミング良いということは、もう運命だと思って。
長崎へ行くことになったのです。
【夢のような。】
みてみて、真ん中がりょーなで、両脇にわたしとななみさんがいるんです。笑
細かい旅のお話は次回投稿で綴るとして、今回は岩手の時と同じ、取り敢えずの思ったこと、感じたことのまとめのような。
友人目線、でないとしても、本当にかっこよくて、歌が上手くて、素敵でした、王子様。
わたしの中で、同級生であり友人、という記憶で止まっていたりょーなが、完全に「知り合いの俳優」になった瞬間、と言ったらいいのかしら。
まだ大楽ではないのでネタバレはできませんけれど、りょーながかっこいい、ということが伝われば良いです。
そしてそして、友人特権をここで乱用。終演後にわたしとななみさんと、りょーなの3人でハウステンボスを巡りました。
伝わります?この楽しさ。
久しぶりだねぇ、とか、最近どう?とか、何気ないことを時間のかぎり話していました。
りょーなはそのあと稽古だったので一旦行ってらっしゃいをして、後ほどホテルのラウンジでまた落ち合って。
普段は絶対に飲まないような、お洒落でちょっと高級なお酒を飲みながらまたたくさん話して。
本当にあっという間に過ぎていった、幸せな時間でした。
【自立の仕方、という話】
少し話は逸れますが。
昔、大好きだった先生に、
「自立するということは、依存を分散させることだって最近読んだ本に書いてあったよ。
いろんなコミュニティーに属することで、それぞれの依存度が低くなっている状態を自立というんだって。
ゆきはひとつひとつの居場所に尽くしたり、没頭するのは得意かもしれないけど、そういう意味での自立はできていないのではないかな」
と言われたことがあります。
流行りの言葉を借りるとすれば、メンヘラ(メンタルヘルス)、のような。
そういう人間は、たったひとつの信じて尽くして愛していた物事人から少しでも拒否されたと感じると、世界に拒絶されたような気がしてしまって、生きているのかそうでないのか、いろいろなことがわからなくなってしまうんです。
まさにそれをひしひしと、実感してしまった苦しい夏に、世界にはいろんなもの、こと、ひとがあって、そんなに深く考える必要はないのだと、逃げるという選択肢が必ずしも間違いではないと、そう考えるきっかけをくれたのが、意外にもりょーなだったりするんです。
その夏くらいからよくみんなで(同級生の子たち数人)りょーなの家で集まってわいわいしたりするようになって、色々な人と出会って、わたしなりの、人との適切な距離感がわかるようになって。
だからね、周りが、ななみさんが、りょーなが、思っている以上に、再会して笑って話せて本当に嬉しかったんです。
美しく、素敵で、優しい夏の始まり。
静かに語る夜明けのうた
おはようございます、巫です。
体調を崩してしまうと、どうも物思いにふける癖が昔から治りません。
巡り巡って愛だの生死だの人生だのと、答えの出ないことを延々と考えていたのですが
答えが出るはずはないのです、生きている限り。
それでも考えてしまうのは、しばらくそんなことを考えていると、不意に発展して別のことを考えて、自分自身の拙い哲学へ自問できる時間がやってくるからなのです。
何度繰り返しても、ある程度は同じ答えにいきつくのですが、まだ核心に辿りつけていない感じ。
いつか見つけたそれが、わたしという人間の信念や筋なのだろうなぁ
と、長い前振りになりましたけれど、今日考えていたことの一部を綴っておこうと思います。
つまりはね、わたしの幸せを、ね、純粋でなくとも全く喜んでくれない人は、簡単にわたしのことを殺してしまえるのだと思うのです。
強欲で奔放すぎるわたしですから、今までたくさん呆れられてきたと思うのですが、それでも日々を共に過ごしてくれる人のなんと尊く美しいこと。
恥じぬ人間にならなくてはね、わたしはわたしですからね、と自分に言い聞かせました。
……眠くなってきたので、もう少しだけ眠ることにします。
おやすみなさい。
巫と新屋がゆく、岩手の旅。
前回の記事では奇ッ怪なお話をしましたが、今回は普通の旅のお話。
【宮沢賢治童話村】
宮沢賢治の童話についての館、というイメージで訪れたのですけれど、実際には「宮沢賢治の童話の中に入ってしまおうっていう、面白い空間」でした。
ななみさん「この写真、【そうだ、岩手に行こう】みたいな感じする、面白い」
………。
【明日、天気になーれっ!】みたいな感じすごい。
【賢治の学校】
大自然の中をふらりと歩いて行って、たどり着いたのがこの「賢治の学校」
本当に、夢のような世界に自分が飲み込まれていく感じ。
この空間にいたということを、どうしても誰かと共有をしたくて、ずっと写真を撮っていたなぁ。
できることなら、そうね。
ここで、ななみさんと作品を作りたいな
舞台がいいけど、遠いし広さ的にもあれだから、映像かしら。
創作欲しか湧かなかった、作りたいことや伝えたいこと、このまま消えてしまいたくないと願った日のこと、色々なことを思い出してその全てを肌で感じたよ
【おばあちゃんと美味しいご飯】
今回は遠野の民宿「古軒」に泊まりました。
夕食、朝食付きのプランで泊まったんですけれど、ご飯の豪華さとおばあちゃんの優しさと、時折出会う看板娘の牡丹ちゃん(猫)のかわいさと。
全てに癒されたなぁ〜。
夕食は、遠野の名物の「ジンギスカン」
お刺身も焼き魚もついてて、いやぁもう、全部、全部美味しかった…!
おばあちゃん曰く、「東京から若い女の子が来るって言うから、張り切って茶碗と湯のみを買ったのよ。」と、
儚くて綺麗な、薄焼きの桜の茶碗と湯のみのセット。
それと、ご近所の方からいただいたと言う焼酎を、砂糖を入れていただきました。
おばあちゃんも一緒に飲んでた、かわいい。
夕食の後は、ななみさんとお酒を飲みながら色々なことを話しました。
というよりも、わたしの話を聞いて、ななみさん的意見を貰った、と言う方が正しいのかもしれない。笑
この旅行の直前に、ね、悲しいことがあって。
悲しい出来事って、やっぱり心を確実に少しだけ殺すんです。
無かったことにしたくて、どんなに明るい笑い話にしても、どんなに仕事や予定を詰め込んでも、「悲しい事実」というものはそう簡単に消えてくれなくて。
ちくちくと、一人になった途端に私を刺すのです、まるで忘れるなと言うように。
それを終わりにする手段、わたしは人と会うこと、話すこと、違う解釈を見つけて、これは不幸という終着点ではなく、簡単な通過点であると信じることだと思うのです。
だから、ね。
笑ってくれる人も怒ってくれる人も、お仕事を共にする人も、恩師も仲間も親も友人も、応援してくださる方も、これから出会っていく全ての人のことが、わたしは、好きだよ。
なんて、思った夜でした。
翌朝は早起きしておばあちゃんの作ってくれた朝ごはんを食べました。
7時半という、わたしとななみさんにとっては驚異的に早い時間に起きた。
絵に描いたような素晴らしい朝食……
ご飯を食べてから少しだけ寝て、おばあちゃんにまたねと言いました。
ななみさんから後で聞いた話。
入り口のところに日本地図があるのですが、写真がいくつか貼ってあるそうで。
「この日本地図をね、来てくれた人たちの写真でいっぱいにするのが夢なんだ」
と言っていたそうなのです。
だからね、これを見ている人には是非行って欲しいんだ。
民話を聞きに行くも良し、大切な人と過ごすも良し、人と出会うために行ったり、自分を見つめなおしにいくのも、良いね。
私は、9月頃に家族を連れて、また行こうと思ってます。
本当に素敵な旅でした、旅ってね、いいもんだよ。おしまい。
巫と新屋がゆく、奇ッ怪其ノ一「遠野物語」
「前川君の作品にかかわっているときは“これは偶然というには確率が随分と低い”と思う出来事がよくあります。」
イキウメという劇団の「奇ッ怪其ノ三」という作品に出演されていた、仲村トオルさんの言葉です。
今回は、高校からの友人で、表現者のななみさんと岩手に行った時の「ありえない偶然と役者冥利」という話をしますね。
【なんとなくっていう偶然】
ななみさんとね、旅がしたいねぇ、って話をしていて、そうだねぇ、行こうよ、って。
そんな感じで決まった旅行でした。
「初夏だから、東北とか涼しくない?」
「あまり北すぎたら寒いかなぁ」
「福島と秋田は行ったことあるからナシ」
「んー…、岩手あたり、行ってみるかぁ!」
「ホテルよりも民宿とかの方がそれっぽくない?」
ほんとに、こんな感じ。笑
思い立ったら即行動!ってことで、勢いで深夜バスとってお互い行きたいところ探したりしてね。
それが4月半ばのこと。
思えばこの時から全て繋がっていたんですよね、きっと。
【イキウメという劇団】
少し時間が経って、ななみさんが「イキウメ」という劇団の舞台を観てきた日があったんです。
ものすごくおすすめをしてくれたんです、私ね、ななみさんの劇的センスが素晴らしいことを知っているから、そんなの観たくなるじゃないですか。
そしたら、ななみさんが「イキウメのDVD持って行くから、夜行バスの中で見よう!」って言ってくれて。
楽しみがまた一つ増えたなぁ、としか思ってなかった5月の初め。
【巡り合わせ】
いよいよ旅行当日!
1泊2日の予定だったのですが、2日目が生憎の雨でして、行きたかった場所を急遽変更し、2日目どこ行こうかぁ、なんて言いながら、とりあえずお楽しみの「イキウメ」鑑賞。
幾つかある作DVDの中で、ななみさんが選んでくれたのが「奇っ怪其ノ三」という作品でした。
これ、遠野物語という民俗学小説を題材にしているんですけれど、遠野、というのは岩手県の地名のことで、奇っ怪話や伝承話が多いことで有名だそうです。
河童や座敷童子発祥の地、あとは、オシラサマ、とかね。
劇中、亡くなったおばあさんが、幽霊になって孫のことを駅まで迎えにくるシーンがあるのですが、その駅が「遠野駅」なんです。
ここを見た瞬間、私、ぞっとしてしまって。
だって、今回泊まる宿がね、遠野の民宿だったから。
私が宿泊やバスの予約担当、ななみさんは巡る観光地リスト担当だったので、ななみさんは遠野に泊まることを知らないまま、このDVDを持ってきたことになります。
………え。
しかも、霊峰や山男なんかの話も出てきたのですが、わたし達が泊まる民宿はまさにその山の麓。
ななみさんにその話をして色々話した後、2日目は遠野という場所、遠野物語の著者、柳田國男について調べたり学ぶ日に変更しました。
(遠野市には、色々な伝統や資料を集めた施設がたくさんあるのです)
【語り部に守られ、語り継がれている遠野の伝承話】
皆さん聞いたことのある昔話。
先ほども言っていた河童や座敷童子、マヨイガ、舌切り雀に瓜っ子の話など、遠野からはあまりに多くの伝承話が伝えられ、全国に広まっていきました。
けれど、実は悲しい、身分差の恋の苦しさや、人々の貧しさ、神様への信仰心を身近に感じるための大切な気持ちが込められたものが多いのです。
そして遠野には、いつの時代も伝承を継いでいけるように、忘れないように、と、それを語る「語り部」と呼ばれる方々が何人もいるのです。
東北の方言で話してくださるので、最初は6割わからないかも…笑
「むかし、あったずもな」
訳:むかしむかしのお話なんだけどね
から始まり
「どんどはれ」
訳:これでおしまい。
で終わる。
子供に戻って、おばあちゃんに絵本を読んでもらっているような感覚でした。
語り部さんのお話会(1日に2〜3回あります)が終わったら館内を巡るんですけれど…
結構フォトジェニックで楽しい。笑
なんとなく行くことになった岩手旅行だったけれど、やはり私もななみさんも「表現者」「役者」という仕事柄、こういう運命のような偶然を呼んでしまうのかしら。
何かの作品について、その背景について。
そこで生きた人について学ぶことができる環境に自分の身を置くことができること
そういう意味での自由であるということ、同時に縛られているということ。
役者冥利に尽きるというか。
やっぱり私たちはふつうの女の子になんてなれないのかもしれないね、なんて。
他にも観光したりだとか、綴りたいことはありますけれど、とりあえず今日はここら辺で。